前回からの続き。「世界一孤独な日本のオジサン」の著者 岡本純子の解説。「文春オンライン」より(第3回)。
【目次】
(1) 孤独な人は、早死リスクが50%高くなる
(2) 日本は世界に冠たる孤独大国になりつつある(3) 「孤独に耐えろ」は「水を飲まずに我慢しろ」と同じくらい残酷
① ポジティブな意味合いの「Solitude」、ネガティブな「Loneliness」
② 人間は本来、「社会的動物」だ
(4) 日本は「ソーシャル・キャピタル」が先進国最低の101位
(5) 「仕事が、生きがいなわけではない」。そう思っていても
【展開】(4)
(1) 日本は「ソーシャル・キャピタル」が先進国最低の101位
===== 引用はじめ
孤独には「コミュニティ」と「コミュニケーション」の欠如という二大要因がある。前者の観点で見ると、「地縁」「血縁」という昔からのセーフティーネットが都市化や核家族化などで消滅しつつある中、それに代わる「コミュニティ」が欠落しているのが日本社会の大きな問題だ。家族以外のネットワークやコミュニティ、ボランティアや地域活動への参加などといった社会や地域における人々の信頼関係や結びつきを表す「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」が極端に低いのだ。イギリスのレガタム研究所の2017年版のランキングによると、日本は全世界149カ国中、101位。先進国中では最低で、ルワンダ、イラン、ニカラグア、ザンビア、ガーナなどを下回った。日本はほかの指標、例えば「健康」や「安全性」などでは高い数値を獲得しているが、この「ソーシャル・キャピタル」だけが突出して低い。===== 引用おわり
添付図「国の豊かさを評価する「繁栄指数」 日本の場合」参照
私の意見
「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」(以後“SC”)が極端に低いのが問題だというのは分かるが、それは原因ではなく、結果でもあるのではないか。これまで日本では、家族、近所、職場などが充実しており、困ったことが起きても、その範囲で、結構なんとかなっていった。そこではSCは必要ないので、あまりなかったし、あまり使わなかった。そこでSCを使い慣れていないのである。そこでは、SCを準備しても、使われない。
ところが、家族、近所、職場が弱体化し、困ったことをその範囲では包み込めなくなってきた。今やSCが必要になってきて、SCを整備しつつあるが、まだあまり利用されていない。その理由の一つにSCを使い慣れていないことがある。SCを使っていると使い方が分かってきて、使おうとし始める。そうするとSCのニーズが高まり、ニーズに応じて加速度的にSCが整備されはじめる。
日本でSCが低いのは、日本が劣っていたからではなく、SCが必要でない程に優れていたからである。でも、状況が変わってきている。
「SCが低い → SCが必要になる →SCを使い始める → SCのニーズが強まる → SCが整備されていく」というプロセスの途上に日本がいると思う。
日本は、そう捨てたものではない。大切なのは、これからだ。
<出典>
なぜ日本のおじさんは「世界一孤独」なのか?
~ 『世界一孤独な日本のオジサン』著者が示す衝撃的データ
http://bunshun.jp/articles/-/6460
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