(1) 「死の疑似体験」の始まり
(2) 「死の疑似体験」でのワーク
(3) 最後に残るもの
(4) 学生が書いた感想の一例
先ず(4)を書き、続いて(1)(2)(3)を書きます。
(4) 学生が書いた感想の一例
===== 引用はじめ
自分を支えてくれるものは、目に見えないものばかりだった。そしてそれは、自分で獲得したり作り出したりしたものではなく、全て与えられたものだった===== 引用おわり
(1) 「死の疑似体験」の始まり
===== 引用はじめ
授業では私が創作した、末期がん患者の日記を読みながら進めます。ある日急に気分が悪くなって病院で内視鏡検査を受けると、胃のポリープだと診断される。しかし実は胃がんで、入院中に余命は数カ月だと知らされる、という内容です。学生たちはこの主人公に自身を重ね合わせ、残りの人生をどう生きるかと考えていくわけです。===== 引用おわり
(2) 「死の疑似体験」でのワーク
===== 引用はじめ
学生には大切なものを12個、紙に書いてもらいます。1つは「形のある大切なもの」。もう1つは「大切な活動」。3つ目は「大切な人」。最後に「形のない大切なもの」。この4種類を3つずつ書いてもらい、病状が進行するごとに1枚ずつ破って手放しながら、本当に大切なものは何かと考えます。===== 引用おわり
(3) 最後に残るもの
===== 引用はじめ
圧倒的に「大切な人」。お母さんが多いです。男子も女子も同じです。自分のことを無条件に愛してくれる代表が、お母さんなのでしょうね。「形のない大切なもの」は感謝や愛が残ります。「形のある大切なもの」によく挙がる携帯電話やパソコンは早い段階でなくなります。
===== 引用おわり
「死生学」を「死を含めて生きることを考える学問」と提示しているという。「死を考えずに」生きているときは「形のある大切なもの」に執着するが、「死を含めて生きることを考える」とき、早々に捨ててしまうのだろう。
<出典>
藤井美和(関西学院大教授)、大切なものに気付く「死の疑似体験」授業【死を見つめる心(1)】 産経新聞(2018/12/03)
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