「誰もが暮らしやすいまち」にするためには「お手伝い3点セット」(心配り、声かけ、手助けの3つ)が大切だと書きました。これ(誰もが暮らしやすいまち)に似た概念があります。
(1) 「ユニバーサル社会」: 「年齢、性別、障害の有無、文化などの違いにかかわりなくだれもが地域社会の一員として支え合うなかで安心して暮らし、一人ひとりが持てる力を発揮して元気に活動できる社会」(兵庫県の定義)
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kf10/universal/univer.html
(2) 「共生社会」: これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。このような社会を目指すことは、我が国において最も積極的に取り組むべき重要な課題である(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm
(3) 「インクルーシブな社会」: 「インクルーシブ」とは、あえて日本語にすると「包み込むような/包摂的な」となりますが、なんだかわかりにくいですね。「インクルーシブ」は、「ソーシャル・インクルージョン」(社会的包摂)という言葉から来ており、これは「あらゆる人が孤立したり、排除されたりしないよう援護し、社会の構成員として包み、支え合う」という社会政策の理念を表します。 / 私は、「インクルーシブ」という言葉を理解するためには、その反対の言葉から知ることが不可欠だと考えています。「インクルーシブ」の反対は「イクスクルーシブ」。「排除的、排他的」という意味です。「一部の人を外へ追い出す」「のけものにする」ということですね。私たちの社会から「排除(イクスクルージョン)されてきた人たち」がいるという事実に気づかなくてはなりません(アジア・太平洋人権情報センター)
https://www.hurights.or.jp/japan/learn/terms/2011/10/new.html
厳密に言うと違うのでしょうが、「ユニバーサル社会」も「共生社会」も「インクルーシブな社会」も、私の言っている「誰もが暮らしやすいまち」も同じ方向に向いていると思います。
活動するに当たって、声をかける対象(人)、状況、課題が異なるので、実際の活動内容は違ってきます。しかし、最初にすべき、心配り(困っている人に気付く)、声かけ(どのような手助けが必要かあるいは必要でないかを尋ねる)、手助け(出来ることを出来る範囲でする)は、共通だと思います。
国が悪い、自治体が悪い、企業が悪い、彼ら(彼)が悪い、だから変わらせなければならないということも必要かと思いますが、それは最初ではなく次にすべきことではないでしょうか。
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