2018年12月22日土曜日

(K0598)  死を見つめる心(5) 評価のものさし捨てよう 人はみな価値ある存在 <臨死期>

 
 学生たちは死について考えたいんです。

===== 引用はじめ
 (死生学を教え始めて)初年度は学生が教室からあふれるほどでした。 … 学生たちはみんな、死について考えたいんですよね。そのきっかけがないのです。
===== 引用おわり
 

 死は1つの通過点

===== 引用はじめ
 私は、死は1つの通過点、神様の元へ帰るための通過点という信仰を持っています。だから死が全てを断絶するという感覚はありません。
===== 引用おわり
 

 死は神秘のままでよい

===== 引用はじめ
 死は絶対に分からない。分からないことをどこかに委ねたり、分からないまま保留にしたりすることは大切だと思います。
===== 引用おわり
 

 二つの終活

===== 引用はじめ
 終活は遺産相続や墓の準備など、人に迷惑をかけないという側面が大きいですが、私は余生をいかに生きるかを考えることこそ終活だと思います。
===== 引用おわり
 

 若者たちに伝えたいこと

===== 引用はじめ
 何かができるから偉いとか、できないからだめだと思う自分のものさしを疑ってほしい。持っていることを誇る人は、持っていない人を哀れにしか思えません。社会は能力や獲得したもので人を評価しますが、最初はみんな、何も持たない裸ん坊で生まれて、それだけで価値ある存在だったはずです。難しいかもしれないけれど、自分のものさしを手放してみてほしい。それが人を許したり、愛したりする、お互いの支え支え合いにつながっていくのではないかと思っています。
===== 引用おわり
 

<出典>
藤井美和(関西学院大教授)、評価のものさし捨てよう / 人はみな価値ある存在
【死を見つめる心(5)】 産経新聞(2018/12/07 夕刊)

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