2019年5月26日日曜日

(K0756)  避けることのできない「生死の選択」(1) <臨死期>


 自分の生死を自分で選択してよいのか、という疑問を感じます。

 自殺はいけないと思います。このような生死の選択は、してはいけないと思います。
 

 自然に生き自然に死ぬのがよいと思います。しかし、そう簡単な問題ではありません。「自然に生きる」とは何か、どこまでが自然で、どこからが不自然か、線引きが難しい。

 医療が進歩した現在、かつてなら死んでしまうような状況でも生き延びる可能性が増えてきました。この医療を受けるか受けないかの選択を否応なく迫られることが起きそうです。


(1)  経管栄養

===== 引用はじめ
 「経管栄養」とはチューブやカテーテルなどを使い、胃や腸に必要な栄養を直接注入することです。
 食事のときに流動食でも誤嚥(ごえん)の危険性が高くなったり、何らかの理由で機能障害を起こして口から物を食べられなくなったりしたときに、経管栄養という選択肢があります。
 胃ろうや腸ろう、経鼻経管栄養といった種類があり、介護の状態や周囲の環境などによってどの経管栄養が向いているのかは異なります。
===== 引用おわり
https://www.irs.jp/article/?p=515


 飲食できなくなり、「枯れるように死んでいく」ことも選択肢の一つでしょう。老衰で死ぬ、あるいは、天寿を全うする。

===== 引用はじめ
 人は、亡くなる前に食べられなくなることにより、脱水状態となり、徐々に眠くなる時間が増えて、ADL(日常生活動作)が低下していきます。 …
 … なぜ、亡くなる前に食べられなくなるかというと、水分を体内で処理できなくなるからです。このような状態で強制的に水分や栄養を取り入れていくと、身体がむくんだり、腹水がたまったり、痰がたまったりとかえって本人をしんどくさせてしまうのです。
 ですから、私は「身体で処理できなくなったら、できるだけ脱水状態にして自然に看ていくのが最期を楽にする方法ですよ」と説明しています。死は病気ではないので、身体の状態にあったちょうどよい傾眠、ADL、そして食事があれば、呼吸も穏やかに最期を迎えることができると考えています。
===== 引用おわり
http://www.tampopo-clinic.com/zaitaku/mitori02.html


 基本的には、「枯れるように亡くなっていく」が、死に方の理想のような気がします。しかし、自分がそのような状態になったとき、家族がなんとしてももっと生きていてほしいと願ったとき、私は自分の意思を押し通せるか自信がありません。

 続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿