===== 引用はじめ
興味深いことに、がんの専門医は「私はがんの方がよい」と言い、認知症に詳しい教授は「私は認知症の方がよい」と言いました。
===== 引用おわり
(K0794) 究極の選択 がん or 認知症 <臨死期>
何故、「私はがんの方がよい」のでしょうか。
「PPK願望が多いようだが、私は最悪の死に方だと思う」と先ずおっしゃいました。「PPKとは要するに突然死だ。本人も家族も何の準備もなく死んでしまう。それが良いわけがない」
PPK信仰は、根強いようです。
===== 引用はじめ
日本は世界に名だたる長寿国ですが、年をとってもピンピンしている健康長寿の人はそんなに多くはありません。
ただ長生きするだけでなく、私たちが望むのは、なくなる直前まで元気に活動するピンピンコロリ(PPK)の人生であり、不幸にして長期の寝たきりになって亡くなるネンネンコロリ(NNK)ではないでしょう。
===== 引用おわり
PPK信仰の背景にはNNKに対する強い恐怖心があるのだと思います。しかし論理的におかしいのです。「not NKK = PKK」ではありません。言い方を変えると「NKKは嫌だ。だからPKKだ」というのは間違っているのです。
がんの専門医の発言は、PKKを否定してるようで、実は否定していません。通常、がんで死ぬのはPKKとは言えないけれど、先生の説によれば、がんは一種の「ピンピンコロリ」になるようです。
つまり、がんを宣告されて、本当に最後の最後には寝たきりになるけれどその期間は比較的短い。それまでは普通に生活できることが多いそうです。痛みが伴うこともあるけれど、かなりコントロールできる。ピンピンしていた人が突然死するのではなく、先ず余命宣告があり、そのあと、例えば半年ぐらいは普通に暮らせて、最期の一週間は臥せてから逝く。基本的には、PPKなのだけれど、PPとKの間に少し時間がある。それが大切なのです。
死ぬ準備が大切だ、という前提で考えると、悪くないパターンです。通常死に準備をしようとしても、いつ死ぬかわからないので、ついつい後回しになります。しかし、余命宣告されると、間に合うように集中して、準備を始めようとします。
余命宣告を受けて落ち込んでしまった人は、予定通り亡くなる、あるいは予定より早く亡くなることが多い。しかし、余命宣告を受けて集中して死に準備をしている人の中には、予定期間を大幅に延長して生き続ける人も多くいるらしいです。集中力が、がんの進行を抑制するのかもしれません。
がんにならないに越したことはありません。でも、体に気をつけていてもがんになってしまうこともあります。
その時に嘆き悲しむだけではなく、良いチャンスをもらえたと気を取り直し、死出への準備をする。がんとの付き合い方の一つのあり方だと思います。
ただ、自分がいざ、がんを宣告されたら、実は慌てふためいて、ここに書いてあることを忘れてしまうかもしれませんが。
<出典>
添付図は、次のサイトから転載。https://deskgram.net/explore/tags/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6
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