(K0794)で書きました。
興味深いことに、がんの専門医は「私はがんの方がよい」と言い、認知症に詳しい教授は「私は認知症の方がよい」と言いました。沢山の症例を見てきた彼らは、がんとの付き合い方、認知症との付き合い方を知っているからだと思います。
認知症との付き合い方は、「認知症にならないよう努力する」「それでも認知症になったら、心穏やかに過ごせるようにする」だと思います。
「認知症にならないよう努力する」にもいろいろありますが、①「MCI(*)の段階で発見し、対処する」がポイントになると思います。それにより、死ぬ時点まで認知症発症を遅らせることができる可能性は高いでしょう。「それでも認知症になったら、心穏やかに過ごせるようにする」には、二つのポイントがあると思います。
一つは②「認知症に関する知識を持っておく」ことです。認知症になったら忘れてしまうから無意味だと思うかもしれませんが、そうではありません。過去を忘れる順番があります。近い過去から順に失います。子どもの頃の歌を歌える認知症の方が多くいます。できるだけ早い時期に認知症の知識を仕入れておくと、認知症がかなり進んでもその知識は残っています。だから、認知症者が自らの認知症に対処できる可能性はあると思います。
もう一つは③「支えてもらえる環境を整える」ことです。認知症になると、一人で対処することは難しくなります。周りの支援を得ながら一人暮らししている認知症の方が大勢います。認知症になっても軽度なうちは、支えられながら自立できます。支えには、③-1「私的な支え」、③-2「公的な支え」があります。
③-1 「私的な支え」について述べます。
「感謝の心をもちなさい」。認知症の世話をしてくれる方々に感謝の気持ちで接する人は、BPSD(**)が出にくい。BPSDが出ないと、周囲の方も余裕をもって優しく接することができるようになり、BPSD出現を更に抑制します。頭での感謝は認知症で無くなります。無くならないのは、心からの感謝です。日頃の生きる姿勢が効いてきます。
③-2「公的な支え」については、神戸市で先進的な制度がスタートしています。
(K0590) 認知症事故 神戸市が賠償
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/12/k0590.html
本当は国がやってくれると良いのだが、なかなか難しそうだ。それなら、神戸市は神戸市でできることを先ずスタートさせよう。色々な考え方があっても良い。他の都市も是非考えてほしい。さらに改良して「大阪モデル」や「京都モデル」も作ってほしい。色々出てきたら、各々のシステムの長短を踏まえて国に「日本モデル」を作ってほしい。それができれば「神戸モデル」は廃止すればよい。このような経緯で「神戸モデル」が近い将来無くなることが良いことだ。大切なことは、一歩を踏み出すことだ。そういう自負の念で「神戸モデル」と名づけたそうです。
因みに、『自負』とは、「自分の才能や仕事に自信をもち、誇りに思うこと。また、その心」
(*) MCI
===== 引用はじめ長期間MCIの状態を維持する場合や健常に戻る場合もある
認知症はある日突然発症するわけではなく、徐々に進行していきます。このため、まだ認知症にはなっていないけれど、年齢相応の認知機能レベルより低下している時期があります。こうした健常と認知症の境目にいる時期を軽度認知障害(MCI)といいます。認知症との大きな違いは、全般的な認知機能は正常で、日常生活に支障をきたすほど認知機能は低下していないという点です。
===== 引用おわり
https://nakamaaru.asahi.com/article/11732770
(**) BPSD
認知症の症状には「中核症状」と呼ばれるものと、「BPSD(行動・心理症状)」と呼ばれるものがあります。かつてBPSDは、中核症状に対して「周辺症状」と言われてきましたが、近年は「BPSD(行動・心理症状)」という名称が一般的になりつつあります。
…
周囲の人との関わりのなかで起きてくる症状を「BPSD」といいます。BPSDは「認知症の行動と心理症状」を表わす英語の「Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia」の頭文字を取ったもの。暴言や暴力、興奮、抑うつ、不眠、昼夜逆転、幻覚、妄想、せん妄、徘徊、もの取られ妄想、弄便、失禁などはいずれもBPSDで、その人の置かれている環境や、人間関係、性格などが絡み合って起きてくるため、人それぞれ表れ方が違います。
介護者が対応に苦慮する多くは、中核症状よりもBPSDです。
===== 引用おわり
https://www.ninchisho-forum.com/knowledge/kaigo/007.html
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