2019年7月26日金曜日

(K0817)  高齢期の引きこもりを考える(4) 引きこもりたくて引きこもっているのではない <社会的健康>

 
 「引きこもりたくて引きこもっているのではない」と、引きこもり当事者からよく聞きます。不思議な言葉です。周りを見ても、引きこもりを強制しているような人は見当たりません。「たとえ、いたとしても、自分の意思で出かけて行けばよいではないか。引きこもると決めているのは自分自身ではないか。引き込んでいるのが嫌なら、自分で出てくればよい。引きこもりたくて引き込んでいるにちがいない」などと思ってしまいます。
 
 「誰かのせいだと言っているのではない。自分は引きこもりたくはない。でも、引きこもってしまう。だから、引きこもりたくて引きこもっているのではない」ということかもしれません。
 
 不安がある。恐怖心がある。だから出かけられない。「心配しなくていいよ、怖がることはないよ」と言ってくれるのだけれど、そして頭ではわかるのだけれど、不安の心や恐怖心がどうしても湧きあがってしまうこともあるでしょう。
 
 過去に、とても悲しい思いをした、怖い思いをした、嫌な思いをした。出かけようとすると、そのようなシーンがまざまざと蘇る。それは、ぬぐおうとしても、ぬぐえるものではありません。自分を守ろうとする本能に直結しています。本能はとても強固です。我々の意志では、なかなか動いてくれません。
 
 「引きこもっていてはだめだ。出かけよう」という強い意志はある。でも、それではなんとも出来ないような、強烈な不安感や恐怖心がある。だから「意志を強くもちなさい」と説教されても、変えられません。
 
 これは、時間をかけて、少しずつ変えていくしかないのではないでしょうか。でも、一人では難しいです。でも、引きこもっているので、誰とも話ができないのです。でも、そこから変わり始めるのではないのでしょうか。少しだけでも話ができた。そこから、時間をかけて、変わっていく――。特効薬はないようです。
 
 続く。

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