今は無理だけれど、88歳になったら、このように暮らしたいと思いました。
===== 引用はじめ
日本人の死生観や宗教観、精神構造を広く研究する宗教学者の山折哲雄さん(88)。米寿を迎えた現在の暮らしを、「睡眠三昧、妄想三昧、雑文書き三昧」とユーモラスに表現し、旺盛な著作活動に励んでいる。
===== 引用おわり
別の言葉で言うと、「米寿を迎えた今、十分な睡眠と早朝の寝床で楽しむ妄想が、ものを書く貴重なヒント、力になっているという」 ―― 今の私とは違う。憧れてしまいます。まだ体は動くので、動くうちにしておくべきことをしておかないと、こんな贅沢な生き方はできないだろう、今は未だ早い、と自分に言い聞かせています。
===== 引用はじめ
西行で死ぬか、親鸞で生きるか…。運命に任せるほかはない。===== 引用おわり
ゆくゆくは、こんな心境になりたい。
西行で死ぬ。
===== 引用はじめ《願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃》
できることなら満月の夜、桜の花を見ながら死にたい――。歌通りの死を迎えた西行に対し山折さんは、「断食して最期をコントロールしたのではないかと、はっと気づいたのです。それ以来、西行にほれて、自分が死ぬなら断食死ならぬ断食死だと言ったり書いたりしてきました」
===== 引用おわり
親鸞で生きる。
===== 引用はじめだが気がつくと80代。認知症の問題が頭をよぎった。「死ぬときは断食死と決めていたけれど、自分が認知症の世界に突入したら自己決定できないのではないか」。そこで心をとらえたのが、親鸞の「自然法爾(ジネンホウニ)」の考え。「つまり、ありのまま、ですね」
===== 引用おわり
<出典>
山折哲雄、理想の最期 話し合うとき【『知』の現場 (14)】 産経新聞(2019/06/16)
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