(K0814) 認知症新大綱 / 「予防」に対する抵抗 <脳の健康>
===== 引用はじめ
認知症対策を進める政府の新たな大綱が決まった。令和7(2025)年に認知症の高齢者が約700万人に達すると推計される中、患者が暮らしやすい社会を作る「共生」に加えて、発症や進行を遅らせる「予防」に初めて重点が置かれた。
===== 引用おわり
“患者が暮らしやすい社会を作る「共生」に加えて、発症や進行を遅らせる「予防」に初めて重点が置かれた”という部分に紆余曲折があったようです。
===== 引用はじめ
ただ、認知症の患者や家族には「予防が強調されれば、『認知症になったらおしまい』といった偏見が広がる」「認知症の人たちへの理解が薄らぐことにつながらないか」との懸念が渦巻く。
政府はこうしたことを踏まえ、大綱の2本の柱を素案段階と入れ替えて「共生」「予防」の順とした。厚労省の担当者は「予防のためには共生の社会づくりが大前提。大綱が予防だけをことさら強調して取り組むものではないことを明確にした」と強調している。
===== 引用おわり
私は、よく理解できません。「認知症」を「インフルエンザ」に置き換えてみます。
「予防が強調されれば、『インフルエンザになったらおしまい』といった偏見が広がる」「インフルエンザの人たちへの理解が薄らぐことにつながらないか」との懸念が渦巻く。
「インフルエンザを予防しましょう」と言っても、こんな議論にはならないでしょう。
インフルエンザは予防の方法が確立されているが、認知症は確立されていません(こうすれば認知症には絶対にならないという方法はない)。しかし、「どのような状態なら認知症になりやすい」「どのようにすれば認知症になりにくい」という知見は多くあるので、予防は有効だし、必要です。「認知症の予防を強調すると偏見が広がる・理解が薄らぐ」ということこそ、偏見と無理解だと思います。
===== 引用はじめ
治療法が明確でないにもかかわらず、政府が大綱の柱に予防を据えた背景には、膨らみ続ける社会保障費への危機感がある。===== 引用おわり
当然な危機感で、この危機感が無いとすると、それこそ危機的な状況だと思います。
===== 引用はじめ
「予防」とは、「認知症にならない」という意味ではなく、「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を緩やかにする」という意味である。運動不足の改善、糖尿病や高血圧症等の生活習慣病の予防、社会参加による社会的孤立の解消や役割の保持等が、認知症の発症を遅らせることができる可能性が示唆されていることを踏まえ、予防に関するエビデンスの収集・普及とともに、通いの場における活動の推進など、正しい知識と理解に基づいた予防を含めた認知症への「備え」としての取組に重点を置く。結果として、70 歳代での発症を 10 年間で1歳遅らせることを目指す。また、認知症の発症や進行の仕組みの解明、予防法・診断法・治療法
等の研究開発を進める。===== 引用おわり
画期的な内容とはいかないが、別におかしいとろはないと、私は思います。
先ず「予防」があって、それでもだめになったら「共生」。元々のこの順番が妥当です。「予防のためには共生の社会づくりが大前提」というのは役所らしい苦心の言い回しです。言い回しの順番はどちらであっても、両方必要なことには変わりはありません。
<出典>
「認知症」新大綱、現場では 高まる「予防」の意識 社会保障費抑制にジレンマ産経新聞 (2019/07/05)
https://www.sankei.com/life/news/190705/lif1907050009-n1.html
認知症施策推進大綱について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000076236_00002.html
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