2019年7月22日月曜日

(K0813)  高齢期の引きこもりを考える(2) 老年引きこもり <社会的健康>

 
 引きこもりを『年少引きこもり』『生産年齢引きこもり』『老年引きこもり』に分けてみました(K811)。この中で特に重いのが『生産年齢引きこもり』です。「働くことが求められる」のに引きこもってしまいます。『生産年齢引きこもり』という言葉自体が自己矛盾を起こしてしまっています。引きこもったまま生産するのは、とても難しいからです。
 
 ここで「働く」には、二つあります。子どもの頃は親に養ってもらいますが、いつまでもというわけにはいきません。自分の生活費は自分で稼がねばならないし、家族をもてば家族を養わねばなりません。「働く」の一つ目は「稼ぐ」。もう一つは「傍楽(ハタラク)=傍を楽にさせる」。専業主婦として家庭を守るのも「はたらく」です。いずれにせよ、必要なところには出向き、必要な人とは話さねばなりません。引きこもっていては働きません。だから『生産年齢引きこもり』はあってはいけないのです。
 

 それにひきかえ、『老年引きこもり』は、なんとも気楽です。「働くことが求められない」のだから、そのためにどこかに行くこともないし、誰かと話す必要もありません。「引きこもって何が悪い!」と声を大きくしていいたてところです。
 
 
===== 引用はじめ
 他人と付き合うのが苦痛だから、一人離れて暮らすことを選択した人間など、古今東西珍しくなかったし、その人の心が病んでいるわけでもない。かのダーウィンや南方熊楠(みなかた・くまぐす)だって引きこもりやニートのはしりの部類かもしれない。
===== 引用おわり
 
 そう言ってもらうと明るい気分になれるが、はたして「ダーウィンや南方熊楠だって引きこもりやニートのはしりの部類」だったのだろうか。研究に没頭するために一定期間人とのつきあいを制限するのは、引きこもりで悩んでいる人たちの引きこもりとは異質ではないか。
 

===== 引用はじめ
 同じく引きこもりが社会問題化している香港での調査結果を読むと、引きこもっている人の生活の質は二極化し、一人でいることをエンジョイする層とつらく感じる層に分かれているという。
===== 引用おわり
 
 働くことを求められない『老年引きこもり』は、必ずしも「悪」ではない。と同時に必ずしも「善」ではない。肯定的な引きこもりと、否定的な引きこもりとがあるみたいです。
 
 続く。
 
<出典>
引きこもり「8050問題」逆転の発想も 京大霊長類研教授・正高信男
【新聞に喝!】 産経新聞(2019/07/07)
https://www.sankei.com/column/news/190707/clm1907070003-n1.html

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