2020年1月4日土曜日

(K0979)  救命と延命の線引きは困難/ ものがたり在宅塾(1) <臨死期>

 
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「延命を望まずに人工呼吸器を拒否することはできるのに、一旦つけると外せない」がネック。医師からは「運ばれてきたら救命する。処置を始めたら途中でやめることはできない」。患者の意志は、尊重されそうにない
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 「藤崎浩行氏によれば、意思の認識としては、「これは何をやっても駄目だな」と思いながらやるのが延命処置、「頑張ってくれれば、三途の川の途中からまた帰ってこれるだろう」と思いながらやるのが救命処置。伊東正太郎氏によれば、「救命救急の現場は違う。患者の情報が少なく、時間的な余裕もない。本人も意思表示ができない。救わなくてもよい命はないから自殺しようとした人も運ばれてきたら救命する」
 
===== 引用はじめ
 がん患者には死が近いことを知り、残りの生活をどう生きるか考える時間がある。本人、家族にも死を受け入れる心の準備ができる。延命治療をせず最後まで仕事をして亡くなったある患者は「がんでよかった」と言い残したそうだ。
 しかし、わたしの専門である外科をはじめ救命救急の現場は違う。患者の情報が少なく、時間的な余裕もない。本人も意思表示ができない。救わなくてもよい命はないから自殺しようとした人も運ばれてきたら救命する。処置を始めたら途中でやめることはできない。一人でも多くの命を救いたいが、医学にも限界がある。しかし、家族はパニックになっており、医師の説明を理解できず状況を受け入れられないことが少なくない。
 がんで死期が近い人が交通事故に遭って運び込まれても死んでよいわけではない。もし覚悟を決めていたとしても、救命救急で人工呼吸器をつけられると死ぬまで外せなくなる。延命を望まずに人工呼吸器を拒否することはできるのに、一旦つけると外せない。がん終末期、認知症で寝たきり、老衰による終末期、神経性難病の患者への救急医療は、それが救命治療なのか、延命治療なのかの線引きが難しいという特殊性がある。
===== 引用おわり
 
<出典>
ものがたり在宅塾2013 5
伊東正太郎氏(市立砺波総合病院院長)、「救命救急医療の現場で「終末期医療」を考える」、2013/12/16
https://www.narrative-home.jp/archives/700

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