☆☆
遠距離介護で、半年で「要介護4」の認定から「1」まで下がり、一人暮らしを再開した。「励ます」がなければ叶わなかっただろう。期限を切って、目標を設定し、励まし続けた。地域のネットワークの支えも不可欠だ
☆☆
===== 引用はじめ
女優としてテレビや舞台で活躍する柴田理恵さん(60)。2年以上前から富山に住む母親の須美子さん(90)の“遠距離介護”を続けてきた。時間を見つけて実家に戻り、励まし続けた結果、須美子さんは半年で「要介護4」の認定から「1」まで下がり、一人暮らしを再開した。そこまで遠距離介護を支えたものは何だったのか。
===== 引用おわり
主な経緯
(1) (要介護4)柴田さんの父親が亡くなった後、富山で一人暮らしをしていた須美子さんが体調を崩したのは、平成29年10月のことだった
(2) 入院から1カ月が過ぎた平成29年11月末、事件が起こる。須美子さんが夜中、歩行練習がてら何も使わずに1人でトイレに行こうとして転倒、腰の骨を折ってしまったのだ
(3) (要介護1)入院から半年後の30年4月、須美子さんは家に戻り、一人暮らしを再開した。
遠距離介護で、1年半で、ここまで回復した。してきたことは、「時間を見つけて実家に戻り、励まし続けた」ということ。
A) 遠距離介護(時間を見つけて実家に戻る)
① 【(1)】一人っ子で生活拠点を東京に置く柴田さんが選択したのは遠距離介護だった。当初は週に1回程度、富山を訪れて、須美子さんに会いに行った。日頃から様子を見てくれていた親族の協力のもと、医療関係者と連絡を取り、治療を進めた。
② 【(3)】須美子さんは今、デイサービスに通い、ヘルパーを頼み、周囲の助けを得ながら、生活をしている。 … 柴田さんが富山に様子を見に行くのは、いまでは1カ月半に1回程度。ただし、毎日のように電話で様子を聞く。何かあると富山の親戚や須美子さんの友人が連絡をくれる。「小さな町なので親戚も友達も多い。遠くの親戚より近くの他人っていうじゃないですか」。地域のネットワークも支えてくれる。
B) 励まし続けた
① 【(1)】須美子さんの治療が順調に進み熱がおさまると、少しずつ意識が戻ってきた。柴田さんはそのタイミングで、須美子さんにリハビリを勧めた。 … 「ああ、どうなるんやろか。こんなんなって」。そう言って弱音を吐く須美子さんに、柴田さんは「もうじき正月だよ。あたしと一緒にうちに来て、酒、飲みたいよね」と語りかけた。 … 「期間を決めて、目の前にニンジンをぶらさげました。そうしないと人間、やる気にならないでしょう」 … 目標ができた須美子さんは、周囲も驚くほどリハビリに熱心に取り組んだ。 … 「病院から出たかったんでしょうね。やりたいことがあると希望になる」
② 【(2)-1】「もう歩く練習もできん」。そう言う須美子さんを、柴田さんは励ました。「正月に酒飲もうよ、絶対」「帰りたいやろ」「正月まであと3週間あるよ。2週間あれば骨がくっつくからまた歩け!」
③ 【(2)-2】そうして約束のお正月。須美子さんは一時帰宅を許された。柴田さんが用意したのは、須美子さんが好きだった地元・富山の日本酒だ。 … 今度は雪の季節が終わる春に、退院して自宅に帰ることを目標にした。
④ 【(3)】かつて小学校の教員を務めていた須美子さんには、子供たちにお茶を教えるという生きがいがあった。結局、柴田さんはこう考えた。「母にとって子供たちに教えることが、最大の特技であり、生きがい。施設に入れるとそれを奪うことになる。 … 」
「家族介護をしないと得られない何かもあるかもしれない。でも、親のそばにいないからって負い目を感じなくていい。その人らしくいられる、個性に合わせた介護ってある」と柴田さん。
<出典>
母親を遠距離介護、要介護4から1に 柴田理恵さん 寝たきりから半年で一人暮らし再開
産経新聞(2019/12/25)
https://www.sankei.com/life/news/191225/lif1912250011-n1.html
母親を遠距離介護 柴田理恵さん 「地元で楽しく、生きがい尊重」
産経新聞(2019/12/26)
https://www.sankei.com/life/news/191226/lif1912260002-n1.html
0 件のコメント:
コメントを投稿