2020年6月16日火曜日

(K1142)  死は、希望なのか、絶望なのか(2) / 自立期と仕上期との間にて(7) <自立期~仕上期>


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死後の世界、浄土を信じている人は、嬉々として死に逝けるかもしれない。しかし、死が終わりを意味している人は、どのように死ぬのか。絶望的に死に臨むのか。そのようにならないような生き方もあるのではないか
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 死とは、希望なのか、絶望なのか。「死とは、絶望だ」と言いそうな人は、どんな人なのでしょうか。

(1) 大好きな人たちと分かれるのは嫌だ
(2) この世は楽しい。それが終わるのは嫌だ
(3) 気がかりなことがあり、それが解決できないままで終わるのは嫌だ
(4) 今まで苦労してきて、これから幸せになるのにその前に死ぬのは嫌だ
(5) 地獄に落ちるのが怖い

 このうち(1)(4)に共通しているのは、死後の世界を想定していないので、死が終わりを意味していること。生き続けていくことに意味を見出していること

 私(=藤波)が死ぬときには、やり残したことが残ってしまうのは避けられないでしょう。それを無念に思いながら死んでいくと思います。でも、人間として、やれることをやり尽くした、と思えるほどに、精一杯この世を生きることにより、「死を絶望だ」とは思わず、死んで逝けるのではないかとも思っています。


===== 引用はじめ
 浄土への激しい憧れは、地獄という世界への戦慄と恐れに対応してあるのであって、地獄の実感のない現代人には浄土への希求もほとんどないのではあるまいか。
===== 引用おわり
五木寛之、「新老人の思想」、P.136

写真は、Wikipedia『地獄』


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