2020年6月28日日曜日

(K1154)  アンチ・エイジングとナチュラル・エイジング(2) / 自立期と仕上期との間にて(10) <自立期~仕上期>


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「アンチ・エイジング」という言葉に、違和感がずっとある。「私はアンチ・エイジングできている人。あの人はアンチ・エイジングできていない」という雰囲気に、嫌悪感すら覚える。年をとることを楽しみたい
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 Googleで、「アンチ・エイジング」というキーワードで検索し、「画像」だけに絞り、上位を一望したものが、添付図である。
 少しでも若く、美しく見られたいという、女性の執念(?)に圧倒される。


 アンチ・エイジングを目標とし、アンチ・エイジングを誇りにしている人がいるが、私には、理解不能。何故かを考えてみたら、二つ思いついた。

(1) アンチ・エイジングが勝利なら、必ずその後に敗北が来る
 敗北の悲しさと、勝利の喜びは、表裏一体である。喜びを先にとって、悲しみの種を作っている

(2) 若さが全てなら、若さの衰えは敗北である
 若さのみに価値観をおき、見た目ばかりを追い求めるアンチ・エイジングは虚しい。精神性をまるで無視している。精神性がないから、アンチ・エイジングに走らざるをえない。

 若さが衰えても、それとは関係なく維持できる価値というものがあるはずだ。それが備わっていないから、アンチ・エイジング一辺倒になってしまう。

 身体的健康における「アンチ・エイジング」も、同様だ。「アンチ・エイジング」に励むのはよいことだが、それが全てはないだろう。人生の、一部でしかないのではないか。

===== 引用はじめ
 私は以前から「養生、」ということを言ったり、書いたりしてきた。「養生」はいわゆる「健康法」とはちがう。アンチではなく、自然に老いるための工夫(ふう)だ。したがって、いくら「養生」にはげんでも、ずっと元気というわけにはいかない。年齢以上の老化を避けるだけの話である。
 … 最後にいきつくところは、「老化」という疑いようのない真実と向きあうしかない。
 〈養生〉も〈健康法〉も、百点満点の体調をめざすものではないだろう。その歳なりの自然な老化こそ目標であって、不自然な元気が目的ではないはずだ。
===== 引用おわり
五木寛之、「新老人の思想」、P.130 - 131


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