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横田滋さんが亡くなった。娘さんが壮絶な人生を送っているように、両親にとっても壮絶な人生だろう。「何も思い残すことがないほど全身全霊打ち込んで」。私にはとても使えない言葉だ。ご冥福をお祈りする
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横田滋さんが亡くなりました。
===== 引用はじめ
「滋も皆様と仲良くさせていただき、何も思い残すことがないほど全身全霊打ち込んで、頑張ったと思います。本当に安らかに、静かないい顔で天国に引き上げられたとことを良かったと思っています。これまでご支援いただきましたこと、ありがとうございました」(早紀江さん)
…
滋さんの臨終の際、早紀江さんが「天国に行けるんだからね。懐かしい方が皆、待っているよ」と耳元で叫ぶと、薄く開けた目に涙をためて静かに引き取ったという。
===== 引用おわり
産経新聞(2020/06/10)
無念でない訳がありません。「やるべきことをしなかった」という無念さではない。生ある人として限界がある。その限界に挑戦し続けてきたのでしょう。
それこそ「生き地獄」を生きてこられたと思います。「生きて地獄、死んで地獄」と言いますが、地獄に行く訳がありません。
一つの個体としては、死があり、そこで終わります。しかし人々が思いを一つにするとき、志は、切れ目なく続いていきます。そうであってほしい、そうあるだろう、そして、そうしなければならない。
===== 引用はじめ
恵心僧都源信の浄土を語る言葉は、地獄のリアリティーに支えられている。
「生きて地獄、死んで地獄」
というギリギリの地点に立たされたととき、人は信じることに賭けるのだ。
===== 引用おわり
五木寛之、「新老人の思想」、P.136
添付写真は、
https://www.sankei.com/world/photos/200605/wor2006050029-p1.html
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