2020年6月29日月曜日

(K1156)  母の最期を看取れなかった <親しい人の死>


☆☆
最期を看取れなかったのを、一生の後悔する人もいる。入院したのは、良かれとしてしたこと。しなかったら、また別の後悔が残る。亡き人が望まないことは分かっていても後悔してしまう。できるのは、今できること
☆☆

相談:
===== 引用はじめ
 母が54日に亡くなりました。入院1週間目でした。
 母は大の病院嫌い。最期は家でと言っていました。それでも助かる見込みがあればと入院を決めました。もしもの時は自宅にと手配していた直後、危篤となり、病院に着いたら今さっき亡くなりました。と言われました。
 父を早くに亡くし、病弱な母をみるため、一人娘の私は結婚もせず、介護離職後9年間片時も離れませんでした。
 私の姿がないと不安になるのに、新型コロナの影響で面会もできず、どんなにつらかっただろうと思うと涙が止まりません。一生の後悔です私はどう考えればよいのでしようか。
60代、女性)
===== 引用おわり

 こんな相談をかけられたら、どう応じたら良いのでしょうか。。。


 回答者の山本一力さんは、「わたしもあなたと同じ局面に遭遇した」として、葬儀の時に庵主様が慈悲深い物言いでとかれた言葉を紹介しました。「いまは暗い道をひとりで歩いています。家族が欠かさず灯す灯明が、黄泉の国を進む者には一番の明かりです」と。

 過去を悔いるのを止めて、今できることに目を向けると楽になる。過去を悔いるのを止められるのはどういうケースか。「相談文面からも明らかだが、あなたはできることすべてを、なさってこられた。医師もまた然しかり。あのコロナ災禍のなか、できることすべてを、されたはずだ。」

 その時に備えて、今できることは、しておこう。


<出典>
産経新聞(2020/06/22)

https://news.livedoor.com/article/detail/18487723/


0 件のコメント:

コメントを投稿