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60歳を超えても、ピラミッドの頂点に居座れる人はわずか。多くは、社会からリタイアを迫られているが、体力、気力、能力ともにおとろえていない。ただ、経験と知識をそなえてはいるが、老化は自然に進行している
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浴槽に湯がひたひたとあふれるように、音もなく増えつづける高齢者世代のなかで、新しいタイプの老人たちが目立ってきているのである。それは社会からリタイアを迫られているにもかかわらず、体力、気力、能力ともにおとろえていない人びとだ。
大多数の人は、余力があるにもかかわらず、強制的に退場を迫られるのである。ピラミッドの頂点部分に居坐ることができるのは、ごく少数の幸運な人びとだろう。
今の社会は、60歳から90歳までの高齢者の巨大な層のエネルギーを、吸収できずに放り出したままにする。現実に90歳をこえれば、そのエネルギーも失われてくるはずだ。しかし60歳からの30年間といえば、人生を再び生き直すほどの年月である。
それらの層をどのように生かすことができるだろうか。
たとえ豊かな経験と知識をそなえ、体力、気力ともに充実していたとしても、そこにはわずかなズレがある。老化は、自然に進行しているのだ。その自然の劣化を認めることができないこと、それ自体が老化なのである。
もちろん、そこには大きな個人差がある。それを認めた上で、考えてみる。いわゆるスーパー老人は、あくまで例外にすぎない。その例外を、メディアは理想の老人像のように取りあげて讃美する。
<出典>
五木寛之、「新老人の思想」、P.76 - 77
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