2018年8月8日水曜日

(K0463)  坂途中ベンチのパラドックス <地域の再構築>

 
 家の近くに急な坂がある。一気に登るのが大変で、途中で休んでいるお年寄りがいる。坂の途中にベンチを置いてはどうか、という話が出た。対応できる補助金もあるらしい。結構なことだが、実現までを頭で描いてみると、ため息が出る。
 
 ベンチの前にある家が、どうしてもお世話役になってしまう。忘れ物があったとか、汚れているとか、忘れ物があったとか、煩わしくなるのは目に見えている。「それは結構な話だが、私の家の前は嫌よ」。英語では”NIMBY”と言われている。

 
===== 引用はじめ
NIMBY(ニンビー)とは、英語: “Not In My Back Yard”(我が家の裏には御免)の略語で、「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉である。 日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」 「嫌悪施設」などと呼称される。
===== 引用おわり
NIMBY - Wikipedia - ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/NIMBY
 


 ベンチにずっと見知らぬ人が座ると、深刻な問題につながる。監視されているようで嫌だし、出かける時にその人の目の前で、鍵をかけて出かけたくない。泥棒さんなら「待ったかい甲斐があった!」と本業を始めるかもしれない。
 
 
 これは単に個人の問題ではなく、背景に重要なパラドックスがある。


 得をするのは、坂のもっと上の住民で、ベンチの前の住民は面倒なだけで、得することはない。嫌がるのは当然である。得をする人と損をする人とが違う企ては、まずうまくいかない。自分が得をするから我慢するのであって、他人の得のために我慢できない。ごくごく普通のことである。
 


 でも、「地域力を強化する」ためには、どうしてもこのパラドックスを乗り越えなければならない。AはBのために我慢する。BはCのために我慢する。CはAのために我慢する。こううまくいくのは稀で、Aは得することが多く、Cは損することが多い。それでも、全体を良くするために協力する。
 
 どう乗り越えるかに、一般解はない。その地域独特の人たちがいて、独特の環境があって、独特の解が存在する。
 
 難しいから「官」にやってもらおう、というのは無理である。「民」では難しいから「官」に頼むのではなく、「官」では難しいから「民」が頑張ろう。そのような意気込みがあって、はじめて、地域は変わり始めるのではないか。
 
 そんなこと出来るの? できるかどうかは分からないが、チャレンジしなければチャンスが巡ってこないのは、確かだろう。
 

 さて、どうなることやら。


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