※ 同じ文を、Facebook、個人ブログ(1346)にも書き込んでいます。
Facebook友達の豊島
彩さんが「以前からお世話になっているEditage edgeさんに研究紹介の記事を掲載してもらいました」と書き込んでいて、そのインタビュー記事のタイトルが興味深かった。
「高齢者の”ひとり”と”孤立”は違う?:豊島彩(とよしま・あや)さんメールインタビュー」
https://edge.editage.jp/aya-toyoshima/
===== 引用はじめ
最新の研究では,高齢になると自分の趣味を一人で楽しむ傾向が若い世代より強いことが分かってきました。今後,高齢になり家族や友人との交流が少なくても心豊かに生活できるのか明らかにすることで,日本の超高齢社会に貢献できるのではないかと考えています。現状として,“おひとりさま”という言葉が社会で広まっていますが,実際にその方たちがどのような生活をしているのかはまだ曖昧です。そこで,まずは高齢者の中でも社会参加に消極的な方のライフスタイルを把握し,孤独に陥っている人との違いを比較しようと考えました。
===== 引用おわり
刺激的な研究であり、この研究から色々なものが派生してきそうで、成果が楽しみです。
以降は、刺激を受けて、私が考えた事を書きます。
高齢者がひきこもらないよう「居場所づくり」の重要性が注目され、実際にアクティブに活動している人が増え、成果をあげています。例えば、既に終わった話ですが「居場所サミット」。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2018/07/20180717072601.html
https://www.facebook.com/events/193159481403502/
私も参加しました。活気にあふれていました。
とても大切な活動で、今後も進めるべきだとは思うのですが、私は何か「限界」のようなものを感じていました。「両輪で走ればよいのに、片輪で走っているのではないか」。でも、それ以上は見えていませんでした。豊島 彩さんの文がヒントになりました。
「社会参加に消極的な方」で「家族や友人との交流が少なくても心豊かに生活できる」人がいる、これは事実だと思います。
二つの課題を想定できます。
① 「社会参加に消極的な方」で「家族や友人との交流が少なくて」「心豊かに生活」「できていない人」は大丈夫だろうか
いまある片輪「居場所づくり」は、これらの課題には届きにくい。それが「限界」ではないかということです。居場所は「社会参加に消極的な方」にとっては、そもそも、それほど快適な場所ではないかもしれません。積極的に誘うには、抵抗感があります。
単純化すると、世の中には、外向的な人と内向的な人とがいます。例えば、
https://jibun-compass.com/naikou_gaikou(添付の絵は、このサイトからの転載です)
多くの「居場所」は、外向的な人にとっては快適な場所だが、内向的な人には馴染みにくいのではないか。「居場所」は、外向的な人にとっては答(救い)になりやすいが、内向的な人にとっては答(救い)になりにくいのではないか。
また、見ていると「居場所」を推進する人には外向的な人が多いようです。その彼ら・彼女らのなかには、内向的な人への対応が難しい人もいると思います。自分とは違うタイプの人と付き合うのは、誰にとっても難しいことです。
考えねばならないいくつかのことがあります。
(1) 今でも、内向的な人も適応しやすい居場所もあると思います。そういう居場所を増やす
(2) 居場所とは違う形で内向的な人達の課題解決を支援する。先の言葉でいうと「もうひとつの片輪」を作っていく。ただし、それが何かは、私には見えていません。また、内向的なひとだけに、接触の難しさもあると思います
(3) 「社会参加に消極的な方」で「家族や友人との交流が少なくても心豊かに生活」「できている人」をモデルとして提示し、「できていない人」の変容を目指す。これは課題①の解決策になりえると思います
(4) 課題②の解決策は何か? あるいは、そもそも解決すべき課題は実はないのかもしれません
先に「この研究から色々なものが派生してきそうで、成果が楽しみです」と書きましたが、(2)(3)(4)をどうすればよいのか、ヒントが出てくるのではないかと期待しています。
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