2019年4月8日月曜日

(K0708) 「寄り添われ体験」の意味するもの / 「寄り添いに求められるもの」(5) <後見と電話相談>




 講師が、三つの体験を語られた。

   病室の出会いから知る

   血圧計を抱えて泣いておられた看護師さん

   ニコニコと見舞いにきてくれた母

 その意味するものは何だろうか



共通点は、

A)   人が関わっている

 50代の悪性リウマチの女性患者(①)、看護師(②)、母(③)

B)   私の存在そのままを受けてもらい、今の私がそのまま生きていていいと思えるようになった。

   瞬きもできない状況は変わりないのに、生きていていいと思えるようになった。

   全てをなくしたけれど、一緒に喜んでくれたり、泣いてくれたりする方がいた。何かができるからあなたはすばらしいということではなく、自分はここにある、それ自体が奇跡であり、価値かあるということを、こうした出会いから教えてもらいました。

   私が生きてここにいる、ということに喜びがあったり、ここに来るのが楽しいという、私の存在そのものを受け止めてくれる家族がいたというのは、私にとっては大きな恵みだった





(K705)で、次のようなことを書いた。

スピリチュアルペインは、二つの痛みを伴う

   意味:「何のために生きるのか」「生きる意味なんかない」

   関係性:「私を心から愛してくれる人はいない」「私は誰にも必要とされていない」



 出会いを通じて、この二つの痛みが、劇的に変わっている。

 どのように寄り添いが劇的な変化をもたらしたのだろうか。寄り添いの本質は、何だろうか。



<出典>

藤井美和、「寄り添いに求められるもの」、連続公開講座「生きづらさの中を生きる」(社会福祉法人神戸いのちの電話主催)、神戸市立総合福祉センター、2019/04/04

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