2019年4月17日水曜日

(K0715)  二つの関係性 / 「寄り添いに求められるもの」(9) <後見と電話相談>

 
藤井講師のテキストの記述:

===== 引用はじめ

(1) 寄り添いの本質:自らが問われる
  丸ごと受け止めること
  自らの限界

(2) 二つの関係性
  関係性1:人間関係
  関係性2:人間を超えるものとの関係性

 Frankl(フランクル)       「宗教的窓口を閉ざさない」
 Tornstam(トルンスタム)     「老年的超越」
 鈴木 大拙             「限界が来たときが神仏の出番」
 聖書(コリント信徒への手紙Ⅱ)  「見えないものを見目を注ぐ」
===== 引用おわり
 

 これまで(1)について述べてきて、今回は(2)について述べる。あえて(1)を列挙したのには、意味がある。両者は関係する。

 関係性1:人間関係 … 丸ごと受け止めること
 関係性2:人間を超えるものとの関係性 … 自らの限界
 
 スピリチュアルペインは、存在にかかわるものであり、そうである限り、存在の中では完結しない。言い換えれば、「丸ごと受け止める」だけでは不十分である。
 


 藤井講師とお母さんの話の基盤として、宗教的信仰がみてとれる。これは、拡張してもよいと思う。八百万の神、自然信仰や「サムシング・グレート」も含めてよいだろう。
 
===== 引用はじめ
 村上先生は、何よりも「サムシング・グレート」という言葉の生みの親として有名です。
 「サムシング・グレート」とは「神」や「仏」や「天」などと呼ばれる人間の世界を超えた偉大な存在です。

 そして、感謝とともに大切なのがサムシング・グレートに対して祈るということです。
 よく「苦しいときの神頼み」といいますが、あまり良くない意味で使われるように思います。しかし、ある意味で最も人間的で最も自然な心の行為ではないでしょうか。
 祈りの対象は太陽でも神でも仏でもよいのです。人が不可知な力について感じるようになれば、人生そのものに必ず大きな展開がもたらされてくるものなのです。
 「歌聖」と呼ばれた西行法師は、伊勢神宮を参拝したときに「なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」という有名な歌を詠んでいますが、その正体はわからなくても畏敬の念を抱いて祈ることが大切なのです。

人が「もう、これ以上は無理だ」というぐらいまでベストを尽くしたとき、最後にはサムシング・グレートが力を貸してくれるように思います。
===== 引用おわり

 


 人は、日常生活において「人間を超えるものとの関係性」をもつことは、稀である。危機に陥り、自らの限界を感じた時に、コンタクトしやすくなる。
 
 避けられるものなら、避けたいと思う。
 
 このシリーズ、終わり
 

<出典>
藤井美和、「寄り添いに求められるもの」、連続公開講座「生きづらさの中を生きる」(社会福祉法人神戸いのちの電話主催)、神戸市立総合福祉センター、2019/04/04

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