藤井講師のテキストの記述:
===== 引用はじめ
寄り添いの本質:自らが問われる・ 丸ごと受け止めること
・ 自らの限界
===== 引用おわり
について、更に書く。
「丸ごと受け止めること」は、「丸ごと受け止められていること」の方が、良いのではないか。行為ではなく、状態が大切だと、私は思っている。
次に、これは誰について書かれていることなのか。素直に読むと、寄り添う人について書かれていると思う。寄り添う人が「丸ごと受け止め」、「自らの限界」を認識し、「自らが問われる」
しかし、同時に、寄り添われる人についてでもあると思う。寄り添われる人が「丸ごと受け止め」、「自らの限界」を認識し、「自らが問われる」
(K0709)で次のように書いた
===== 引用はじめ
「出会った誰か」(寄り添う人)(B)が何か特別なことをするから、対象となっている人(より沿われる人)(A)がスピリチュアルペインから解放されるというものではない。(B)がある状態にあり、(B)と(A)とが何らかの形で関係し、(A)が(B)に感化されたとき、はじめて(A)に変化が起きるのではないか。ここで、(B)がある状態にあるとは、「私(I)」も「あなた(you)」も「彼(he)・彼女(she)」も含めてすべての人に、無条件で従って今のあるがままで、価値があると感じられている状態を指す。(A)に変化が起きるとは、スピリチュアルペインから解放される、あるいは和らぐことを指す。===== 引用おわり
抜き出し、箇条書きにすると
①
(B)がある状態にあり、
②
(B)と(A)とが何らかの形で関係し、③ (A)が(B)に感化されたとき、
はじめて(A)に変化が起きるのではないか
三つ目の条件を満たすためには、寄り添われる人もまた「丸ごと受け止め」、「自らの限界」を認識し、「自らが問われる」のではないか。
ただし、「丸ごと受け止められ」ないから、スピリチュアルペインを抱えている。だから寄り添われる人(A)は、最初「丸ごと受け止める」ことはできない。しかし「(B)と(A)とが何らかの形で関係し」ているうちに、(A)は変容していき、その変容は次の変容を加速する。そしてまた、(B)も変容する。
(B)が(A)に働きかけ、(A)が変わるのではない。(B)と(A)とに相互関係が生まれ、全体がダイナミックに変化していく。行動だけではなく、各々の存在のあり方まで変わっていく。
そして、上下関係はない。最初(A)がスピリチュアルペインを抱え苦しんでいたのだが、それがちっぽけな問題になっていく。そうすると、(A)が寄り添われる人であり(B)が寄り添う人であることは、意味をなさなくなる。
<出典>
藤井美和、「寄り添いに求められるもの」、連続公開講座「生きづらさの中を生きる」(社会福祉法人神戸いのちの電話主催)、神戸市立総合福祉センター、2019/04/04
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