2019年4月28日日曜日

(K0725)  お一人さまで「家で逝く」幸せな最期は存在する <臨死期>

 
 お一人さまで「家で逝く」こと自体は、悪でも不幸でもない。要は、どう暮らすかだ。言葉で説明されるよりも、事例で学ぶとイメージがわきやすい。
 
===== 引用はじめ
 実はこのじいさまとばあさまを比べると、興味深い共通点があります。最期までその人らしく家で暮らし、そのまま家で逝ったこと。
 短時間に経験した2人の看取りは、孤立死での死体検案一家団欒の中での死亡診断であり、一見すると対照的。おそらく、後者は誰もが大往生と思うでしょう。では、前者は気の毒な孤独死か?
 いえ。前者も決して悪くない最期だと、私には思えます。大家族に見守られ、感謝して逝くのはすばらしい。ですが、好きな酒を飲んで上機嫌、電話で子どもたち全員と笑ってしゃべって、しっかり電話団欒を堪能し、一人逝くのも案外悪くないと感じています。
===== 引用おわり
 

 前者の、じいさまの「決して悪くない最期」を見てみます。
 
===== 引用はじめ
 仏さまは70代男性。以前、私が診ていたじいさまでした。
 その4年前に母親が亡くなり、1年前には奥さんに先立たれ、子どもたちは遠方に暮らすため、じいさまは一人暮らしです。3年前、非常に珍しい難病を患い、私では対応できず、とある病院の専門医に紹介しました。以降、その病院に通い、最近は病状が安定して調子はよかったと聞いています。
 電話に出ないことを案じた子どもが、親戚に頼んで家に入ってもらうと、すでに冷たくなっていたようです。直後に救急車を呼ぶも、到着した救急隊は完全な死体と判断し、病院に搬送することなく、警察に連絡。 …
 … 死因は、嘔吐物を喉に詰まらせた窒息であり、治療中の病気との関連もなさそうです。

 前日に地区のお祭りがあり、楽しそうにかなりの量のお酒を飲み、その酔った勢いで、夜になって子どもたちに次々と電話して、たいそう機嫌よく笑って話したのが最後の会話だったとのこと。
 それがわかった時点で、改めて家の中を見渡すと、高齢男性の一人暮らしとは思えないくらい、きれいに整理整頓されています。これは想像ですが、数年のうちに母親と奥さんを亡くしたので、たとえ自分にその予兆がなくとも、自らの死を意識し、常に家の中をきれいにしていたのかもしれません。
===== 引用おわり
 
 確かに悲惨な印象はありません。いずれは死ぬ。その死ぬときが来た。ただ、それだけ。
 
===== 引用はじめ
 ともあれ、この2人の看取りを含め、私の経験では、人生の最期の段階で本当に大切なのは、家族形態や看取られる環境ではないような気がしています。
 大家族でも家族関係が悪ければ、逝き際でも家族にソッポを向かれることでしょう。逆に、お一人さまでも準備と覚悟があれば、物理的には1人でも、満足な家逝きができている。
 「本当に大切なものは目に見えない」とは『星の王子さま』に登場するキツネの名言ですね。家逝きも、本当に大切なのは目に見えている家族形態や自宅の環境ではなく、目に見えにくい”覚悟”と”準備”と”人間関係”ではないでしょうか。
===== 引用おわり
 


<出典> (前回と同じ)
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/お一人さまで%ef%bd%a2家で逝く%ef%bd%a3幸せな最期は存在する-孤立死%ef%bd%a5孤独死は必ずしも悲劇ではない/ar-BBW8riT?ocid=spartandhp#page=2

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