2019年8月7日水曜日

(K0828)  すまコミュニティビジネス大学(5-2)  閑居しても大丈夫な例外 <定年後>

 
 「小人閑居して不善をなす」「大人なお閑居して不善をなす」「閑居すれば小人となる」と書きましたが、閑居して大丈夫なケースもあると思います。考えてみました。
 

1.   大望がある

 ダーウィンが種の起源を執筆するため一人でこもった。後に社会に繋がる目的があって、その過程における閑居
 

2.   Face to Face でない繋がりがある

 顔と顔を合わせないが、インターネットなどでの交流はある
 

3.   少ないが繋がりがありバランスが取れている

 買い物で出かけた先で人と話す。山中でこもっているが、時々友人が訪ねてくる
 

4.   大切な人が傍にいる感覚

 高村幸太郎が晩年、山奥で一人暮らししていた。「寂しくないか」と問われ、「千恵子がいつも傍にいるから寂しくない」と答えた。他者には見えないが、会話しているのだろう。
 

思いついたのは、以上


 これらに当てはまらない閑居は、避けた方がよいと思います。
 ずっと部屋にこもって、ゲームしている、本を読んでいる、映画やテレビを見ている、…。テレビを見ているのは、一方的な受け身なので、人と会話するのとは、全然違うそうです。


 

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