「小人閑居して不善をなす」「大人なお閑居して不善をなす」「閑居すれば小人となる」と書きましたが、閑居して大丈夫なケースもあると思います。考えてみました。
1.
大望がある
ダーウィンが種の起源を執筆するため一人でこもった。後に社会に繋がる目的があって、その過程における閑居
2.
Face
to Face でない繋がりがある
顔と顔を合わせないが、インターネットなどでの交流はある
3.
少ないが繋がりがありバランスが取れている
買い物で出かけた先で人と話す。山中でこもっているが、時々友人が訪ねてくる
4.
大切な人が傍にいる感覚
高村幸太郎が晩年、山奥で一人暮らししていた。「寂しくないか」と問われ、「千恵子がいつも傍にいるから寂しくない」と答えた。他者には見えないが、会話しているのだろう。
思いついたのは、以上
これらに当てはまらない閑居は、避けた方がよいと思います。
ずっと部屋にこもって、ゲームしている、本を読んでいる、映画やテレビを見ている、…。テレビを見ているのは、一方的な受け身なので、人と会話するのとは、全然違うそうです。
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