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「死ぬのは怖いです。怖いですけど、待ってます」という生き方もある。「死ぬのは怖い」は自然の理であり、否定する必要はない。が、逃れようとして逃れられるものでもない。逃れようとするから辛いのではないか。☆☆☆☆☆
(1) 自らの死を自ら求めると、自殺や安楽死を求める生き方になります
(2) 死を忌み、抗い、死を怖がる生き方もあります
(3) いずれでもない、尊厳死、「死を待つ」という生き方もありそうです
「死に方」と捉えるより、「生き方」と捉える方が良いと思います。死を迎える直前まで、どう生きるか。「名誉の死を選ぶ」のも生き方だと思います。正確に言うと、「どう死んでいくかという生き方」です。
私は、(2)は嫌です。(1)も嫌です。残るのは(3)になるのですが、今のところ尊厳死を選ぶ余地はありません。ここで「尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。本人意思は健全な判断のもとでなされることが大切で、尊厳死は自己決定により受け入れた自然死と同じ意味と考えています」(日本尊厳死協会)。現在は「不治で末期に至った患者」ではないから尊厳死を選べません。すると、消去法で「死を待つ」だけが残ります。
ただ、私は死を間近に感じていないけれど、そのうち間近に感じるようになった時、「死ぬのは怖い」と思うかもしれません。それが自然のような気がします。「死ぬのが怖い」は、「良い悪い」でないし、「こうあるべき」でもない、そもそもコントロールの対象ではないと思います。「こうあった」です。だから、私も「死ぬのが怖い」と切実に思うようになるかもしれません。ただ、それだけでは、本当に怖そうです。
融合型があるようです。(2)+(3)。「死ぬのは怖い、けど待っている」
===== 引用はじめ
その時おっしゃったのは「死ぬのは怖いです。怖いですけど、待ってます」ということでした。死ぬことなど怖くないとおっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。しかし、「死ぬことを怖いと言いながら待っている」という人には初めてお会いしました。
===== 引用おわり
続く
<出典>
死ぬのは怖い、けど待っている
【在宅善哉・尾崎容子】 産経新聞(2019/08/14)
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