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起こった出来事に対して「持っているものを失う」ではなく「背負っているものを手放す」と考えられるか。「人というものは何もかも手放すと、これほどまでに軽やかになれる」。引退において、死を間近に感じた時
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前回からの続き。「死ぬのは怖い、けど待っている」といったのは、どういう人か。
===== 引用はじめ
この方は人生の前半、たくさんのものを持っておられる方でした。当然ですが、若さ、健康。そして家族、人並み以上の財産、華やかな交友関係。それを全て手放してこられたのでした。そして人生の最終段階で、命すら手放すことを待っているというのです。人というものは何もかも手放すと、これほどまでに軽やかになれるのか、と驚くほどでした。生活もギリギリの経済状態ではありましたが、「今が一番幸せ。ヘルパーさんや看護師さんやらによぉしてもろうて。一番今が幸せ」と繰り返されるのでした。
===== 引用おわり
ここでのキーワードは、「手放す」です。普通なら「失う」という言葉を使います。
起こっている現象は同じです。
違うのは、「失う」は受動、「手放す」は能動です。私の意思で「手放す」が、「失う」のは私の意思ではありません。
もう一つ違うのは、「失う」の対象は「持っているもの」で、「手放す」の対象は「背負っているもの」です。「人というものは何もかも手放すと、これほどまでに軽やかになれる」と表現されています。
なにものかを背負ってきた自分の人生、その背負ってきたものを一つずつお返しし軽やかになり、最後は命もお返しして、全く自由になる。そういう死生観かなと思いました。
少し、憧れてしまいました。
<出典>
死ぬのは怖い、けど待っている
【在宅善哉・尾崎容子】 産経新聞(2019/08/14)
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