2019年10月24日木曜日

(K0907)  病院での最期だから、苦しむのです / 平穏死(A-4)<臨死期>

 
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多死の時代、病院では死ねなくなる。病院で死ななくてもすむチャンスが増えるということで、ありがたいことだ。「9割の人が自宅死を望んでいるのに1割しか自宅で死ねない現状」が変わっていく希望が見えた
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 これからは多死の時代を迎え、病院数が足りなくなり、自宅死を「余儀なく」されるのです。しかし、それは、幸いなことなのです。
 
===== 引用はじめ
 平穏死とは、決して新しい概念でも、新しい死に方でもありません。ただ昔の主流に戻るだけ。なのに、管1本ない自然で平穏な最期は、在宅と一部の病院・施設にしかないのが現状です。在宅での平穏な最期は、人類の歴史から見ればあたりまえのことです。
===== 引用おわり
 
===== 引用はじめ
 団塊の世代前後か、それより少し上の年齢の人たちなら、自宅で看取った経験や記憶がある人がたくさんいるはずです。
 当時は医療がまだ発達しておらず、それゆえに、老人は終末期に過剰な延命治療をされることもなく、もし平均寿命を超えていればほとんどが「老衰」とみなされ、自宅で穏やかに亡くなっていきました。
 住み慣れた家のいつもの場所で、子どもや孫、親戚たちに囲まれて、静かに死ぬのが、]昔の老人には、あたり前だったのです。
===== 引用おわり
 
===== 引用はじめ
 よく病院の先生は「家に帰ると、もっと苦しみますよ」と言って家族を脅かします。でも本当にそうでしょうか。もしそれが真実なら、私たちのご先祖さまは、… 苦しみ悶えながら死んでいったことになります。
 そんなことはありません。むしろ逆でしょう。 … 病院での最期だから、苦しむことになるのです。すなわち人生の最期に苦しむのは病気のせいではありません。過剰な延命治療のためです。つまり“犯人は医者である私”だったのです。
===== 引用おわり

 病院での最期だから、苦しむのです。自宅で安らかに死にましょう。
 
<出典>
長尾和宏、「平穏死 できる人、できない人」、PHP研究所(2014)P.18-21

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