2020年4月13日月曜日

(K1078)  生き切った死と、残された人 /『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子(1) <臨死期>

 
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もっと何か出来たのではないかという悔いを残して迎えた死は、本人も家族も苦しめる。その一方、もうこれ以上自分には出来ないと思うところまでやって、精も根も尽きて迎え死は、受け入れやすいのではないか
☆☆
 

===== 引用はじめ
 著者(=佐々涼子)の友人で看護師・森山文則氏ががんを煩い亡くなったとき、妻から出た「お父ちゃんに拍手」という言葉。周りからは大きな拍手がわき上がる。葬儀のときも同じだった。
===== 引用おわり
 どういう拍手だったのでしょうか。私は、偉業に対する拍手だと思いました。余命8カ月、死を迎えるまで、森山文則氏は自分の生を生き切った。それは悔しくもあるが、充実した時間でもあったのではないでしょうか。
 
--ご家族のケースも明かされていますね
===== 引用はじめ
 (著者:佐々涼子の)父はパーキンソン症候群を病んでいた母を約10年在宅で介護しました。『どんな姿でも生きてほしい』という父のために母は、懸命に生きたと思います。父は母が亡くなったあと世界旅行の船旅に出かけます。南極でペンギンと写真に収まった姿を見たとき、ここには不思議な明るさがある、これがやり切った人の姿かなあと。両親にもまた生き方を見せてもらったと思いますね」
===== 引用おわり
 もっと何か出来たのではないかという悔いを残して迎えた好ましくない結果は、私たちを苦しめます。その一方、何かにかけて、もうこれ以上自分には出来ないと思うところまでやって、精も根も尽きて、迎える結果は、その結果の良い・悪いにかかわらず、受け入れます。これは、生死に関わるときだけではないでしょう。
 大切な人に先に逝かれて、残された人の立ち直りが比較的早いケースでしょう。
 
 続く
 
<出典>
命がけ「捨てる看護」見守り
産経新聞(2020/04/08 )
“捨てる看護”訪問看護師・森山文則氏が身をもって見せてくれた… 佐々涼子さん『エンド・オブ・ライフ』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200401-00000014-ykf-soci

<原著>
佐々 涼子 ()、『エンド・オブ・ライフ』、(集英社インターナショナル)

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