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医療でできることは小さくなる。人生は家の中でこそ続くものであり、希望も家の中でならかなえやすいと知った。逝く人は、家族などに生きたいように生きてもらったなというある種清々しい達成感を残したように思う
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膵臓がんを原発とする肺移転。医療から遠ざかり、自然治癒力に賭けると言い、家庭に戻り、ありふれた普通の生活を普通に続けました。
森山さんはそれを“捨てる看護”と名付けていました。
===== 引用はじめ元気な時代、彼が看取った人の中には、酸素吸入をしてあえぎながら家族と一緒に潮干狩りをし、その夜亡くなった人もいます。
私が森山さんを通して見た在宅医療は、医者はたとえ患者に負担がかかることが分かっていても本人の希望を最優先し、それを支える家族、医者や看護側の人たちが一致協力するという形でした。
===== 引用おわり
末期になると、医療でできることは少なくなります。それでも、患者は自分の生を全うしようとする。それをサポートするのもまた、看護だと言います。
===== 引用はじめ
そこでは命に対して医療ができることは次第に小さくなっていき、人生は家の中でこそ続くものであり、希望も家の中でならかなえやすいと知りました。
逝く人は、家族などに生きたいように生きてもらったなという、ある種清々しい達成感を残したように思います
===== 引用おわり
在宅医療とは、
===== 引用はじめ
在宅医療とは、病気やけがで通院が困難な人や、退院しても治療が引き続き必要な人、自宅での終末医療を希望する人たちに、医師や看護師が訪問して行う医療のこと。
本著では主に重篤な病気で終末期を家で過ごす人たちの実態が描かれている。
===== 引用おわり
このシリーズ、終わり
<出典>
命がけ「捨てる看護」見守り
産経新聞(2020/04/08 夕 )
“捨てる看護”訪問看護師・森山文則氏が身をもって見せてくれた… 佐々涼子さん『エンド・オブ・ライフ』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200401-00000014-ykf-soci
「捨てる看護」
https://twitter.com/yukanfuji_hodo/status/1244179913848098817/photo/1
<原著>
佐々 涼子 (著)、『エンド・オブ・ライフ』、(集英社インターナショナル)
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