2020年11月27日金曜日

(K1307)  医療側と家族側の認識に溝 <親しい人の死>

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愛する人に一日でも長く生きていてほしい、そう願うのは人として当たり前の感情です。しかし、その気持ちが病状の厳しさの受け入れを難しくする、そんなことは医療現場ではよくあることです。食事後の訪間でした

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 食事後の訪間でした。ゴロゴロと痰の貯留音がひどく、気管内に吸引カテーテルを入れると、容易にカテーテルが入り、大量の液体が吸引されて驚きました。この鮮やかな緑の液体はさっき食べさせたというミキサー食。職員が頑張って食べさせているけれど、ご本人は十分飲み込む力がなく、気管に入ってしまっているのでした。この状態ではミキサー食でなくてもご自身の痰や唾液で窒息することが懸念されます。

 

 この状態であるのに、ご家族は「元気だ」と認識しておられると聞き、驚きました。 … 施設管理者から「ご家族は患者さんが元気になってきた、というご認識である。もっと元気になると期待されている」と聞き、医療者・介護者側とご家族との間に深く大きな溝があるのだと感じました。

 

 ご家族に病院に来ていただき、レントゲン写真や検査結果をもとに病状説明をさせていただきました。 … そして私は「今回来ていただいたのは、この互いの認識のギャップを埋めなくてはならないと思っていたからです。今申し上げた通り、今日が最期の日となっても私は驚きません。しかし、今日が最期の日となったならばご家族はだんだん元気になってきたのになぜ今日亡くなったのだと驚かれ医療や介護に不信感を抱かれることでしょう」と言いました。ご家族は深くうなずかれました。やはり、医療側とご家族との間には認識が大きく違っていたことがわかりました。

 

<出典>

医療側と家族側の認識に溝

【在宅善哉】 産経新聞(2020/11/14)

 

<添付図>

誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)

https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/aspiration_pneumonia/



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