【 読書 ・ 老人力 】「 あ―あ 」となると、これは老人力としてはもっと積極的である。「 あどっこいしょ 」の場合は自然に出る、出てしまったというので 情状酌量 の余地があるのだけど、「 あ―あ 」はむしろ、 確信犯的 な味がある。
老人力の一つに溜息がある。疲れたときなど、椅子にどっこいしょと坐りながら、
「あ―あ……」
と溜息をつくあれだけど、そうだ、「どっこいしょ」も老人力のほとばしりですね。
自分ではまだ若いつもりでいても、いつの間にか体内に老人力がふつふつとみなぎっていて、椅子に腰を下ろしたときなど、
「あどっこいしょ」
という言葉が漏れ出る。この場合ふつうの「どっこいしょ」はまだ力仕事の意味合いがあるけど、その頭に「あ」がつくと、これはもう老人力と見て間違いない。
「あ―あ……」
と溜息をつくと、そういう疲れがど―っと出ていく。はじめの「あ―あ……」はまあ自然に出たものだとしても、そのあともう一度「あ―あ……」とやると、これはもう確信犯というか、積極的な溜息となって、本当にどん底の疲れが出ていくみたいだ。
つまりじっさいの疲れ以上に溜息をつくのである。そうすると溜息が疲れを追い抜いていく。疲れの重圧がなくなってくる。
溜息にはもともとそういう確信犯的な性質があるんじゃないか。溜息だから息なんだけど、自然に漏れるというよりは、あえて出す、
一種の言語機能が秘められてあるのである。
前回は、
(K1487) 忘れる力 。忘れるのが難しい / 「老人力」(5)
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/05/k1487-5.html
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.36 ~ P.40
0 件のコメント:
コメントを投稿