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どう死んでいくかは、どのように生きるかに関わっている。行き逝く先は一人旅なので、その前に繋がりがあるのはありがたい。送る人にとっても大切な時間だろう。有言実行、樹木希林は、思い描いていた死を実現した
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常々「自分が死んでいく姿を見せたい」と話していたんです。そんなこと言われても……という感じじゃないですか。だけど、いざその場になってみたら、ああ、母はこういうことを伝えるためにこだわっていたんだと思って腑に落ちたんです。悲しいはずなんだけど、蝋燭の芯が燃え尽きて最後フッと火が消えるというか、「十分に生きたね」という空気をみんなで共有できました。母らしく潔くサッと去っていった、という感じでしたね。
入院中に3回ぐらい危篤状態になったんですけど、最後のほうで母が「もうそろそろ帰ろうと思う」と言いだしたんです。主治医の先生が「もう少しあとだったら帰せませんが、自宅に急いで介護設備を整えれば帰せます。今が最後のチャンスです。そのことをよく本人がわかりましたね」とおっしゃったので、その2日後に介護タクシーで家にそーっと運んだんです。
だいぶ意識が遠のいてしまっていて、とても遠い目をしてるんです。すぐ(父の)裕也に電話して、「お母さんが今こういう状態だから何か声をかけて」と言ったら、父も急に起こされたからびっくりして、オロオロしながら「しっかりしろ! しっかりしろ!」って。そのとき長男の雅樂(うた)が母の手を握ってたんですけど、裕也がそうやって電話で母に話しかけると、ギュッと手を握り返したというんですよ。
長女の伽羅(きゃら)は、アメリカの大学が始まったばかりで向こうに行っちゃってたので、携帯の映像で母を見ながら話しかけていました。
8歳だった次男の玄兎(げんと)が、ほとんどイギリスで育ってるから英語だったんですけど、「体はここからいなくなっても、魂はずっとそばにいるから、マミー、大丈夫だよ」って。
「いよいよこれで最期です」って看護師さんに言われたときに、玄兎が「ばあば、いつもおいしい果物を食べさせてくれてありがとう」って。
そこでみんなズルッと滑って、「やっぱり8歳の子どもだ」と思って笑っちゃったんですけど、母と父から始まって8歳の子どもまでつながっている内田家の歴史というか、それが走馬灯のように駆けめぐって、みんなで泣いたり笑ったり、温かい時間でしたね。
<引用>
母・樹木希林の晩年の願いは「自分が死んでいく姿を見せたい」内田也哉子が語るhttps://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/母・樹木希林の晩年の願いは「自分が死んでいく姿を見せたい」内田也哉子が語る/ar-AAH6bbO?ocid=spartanntp#page=2
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