2019年11月7日木曜日

(K0921) 『ぼけますから、よろしくお願いします。』(信友直子) <認知症>

 
☆☆
認知症のお母さんを1260日間映像に収めた娘。認知症とは何かを語らず、認知症とは何かを映している。アルツハイマー型認知症の事例。病気というより家族の想いが描かれているのが、観ているものの救いになる
☆☆
 

NPO法人新現役ネットの自主上映会で『ぼけますから、よろしくお願いします。』を観ました。
 
私(=藤波)の感想


(1)  認知症イメージを確認できた
 認知症について私が抱いていたイメージと齟齬がなかった。
 
(2)  書くことでは表現できないことを映像で表せる
 誤った認知症のイメージを持っている人が多く、私が説明してもなかなか納得してもらえない。この映画を観たら、私の言っていることを理解してもらえるだろう。
 
(3)  ドキュメンタリーは、他者の予断が入りにくい
 編集の仕方やナレーションに影響されるが、鑑賞者は見た画面から自分の考えを作り出しやすい。書かれたものを読むと、どうしても作者の考えの影響を強く受けてしまう。
 
(4)  かなり進行しても、認知症者は自分の頭で考えている
 考える素材が欠けているので周囲の人からみると「ちゃんと考えて」いないように見えるが、本人としては、いつも「ちゃんと考えて」いる。
 
(5)  認知症者にとっては、自分の考えを絶えず否定される
 記憶が飛んでしまっており、それを元に自分の考えを述べる。認知症者からすればそれをことごとく否定されてしまうのが辛い。
 
(6)  「何がなんだかわからない」
 他でも聞いたことがあるが、「何がなんだかわからない」というのは、認知症者にとって共通する、本質的な思いだろう。
 
(7)  自分の役割、自分の居場所がなくなってしまった
 お料理も洗濯も「できない」と取り上げられてしまった。妻として母として、家族の世話をみてきたのに、世話を見られる立場になってしまった。「何もしなくていいよ」と言われるほど苦しいことはない。
 
(8)  認知症者には、豊かな感情がある
 認知症になったら何もわからなくなるのではない。考えられないことを補うように、感情は先鋭化する。それが伝わらないのが本人にとっては苛立たしい。不安でいっぱい。お父さんに手をつないでもらうと安心できる。
 
(9)  いつも新聞を読んでいるお父さん
 介護者として全てが介護に向かってしまうと逃げどころがない。手を抜けるところは手を抜いて、新聞を読んでいるお父さん。英文にも挑戦している。「することがある」のは有難いことだ。
 
(10)家族間の思いやりがあるから救われる
 90歳になって慣れない家事を始めたお父さんは、一緒に住もうかという娘には、まだ大丈夫だから、したいことをせよという。距離を探りながら、できることをしていく娘。思いやりが無くなると一気に悲惨な家族に陥ってしまうだろう。
 
===== 引用はじめ
 娘である「私」の視点から、認知症の患者を抱えた家族の内側を丹念に描いたドキュメンタリー。20169月にフジテレビ/関西テレビ「Mr.サンデー」で2週にわたり特集され、大反響を呼んだ。その後、継続取材を行い、201710月にBSフジで放送されると、視聴者から再放送の希望が殺到。本作は、その番組をもとに、追加取材と再編集を行った完全版である。娘として手をさしのべつつも、制作者としてのまなざしを愛する両親にまっすぐに向けた意欲作。
===== 引用おわり
映画「ぼけますから、よろしくお願いします」公式サイト
http://www.bokemasu.com/
 
<関連行事ご案内>

ミニ講演会「認知症を予防して百歳時代を生きる」
開催日時  20191217() 14:0015:30
場所    総合生涯学習センター(大阪駅前第2ビル5階 7号研修室)
参加費   正会員:1,000円  準会員:1,500円  一般参加者:1,500
主催    NPO法人新現役ネット
https://www.shingeneki.com/common/details/area/3058
 
<今回の自主上映会の案内>
https://www.shingeneki.com/common/details/area/3036


0 件のコメント:

コメントを投稿