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認知症のお母さんを1260日間映像に収めた娘。認知症とは何かを語らず、認知症とは何かを映している。アルツハイマー型認知症の事例。病気というより家族の想いが描かれているのが、観ているものの救いになる
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NPO法人新現役ネットの自主上映会で『ぼけますから、よろしくお願いします。』を観ました。
私(=藤波)の感想
(1) 認知症イメージを確認できた
認知症について私が抱いていたイメージと齟齬がなかった。(2) 書くことでは表現できないことを映像で表せる
誤った認知症のイメージを持っている人が多く、私が説明してもなかなか納得してもらえない。この映画を観たら、私の言っていることを理解してもらえるだろう。
(3) ドキュメンタリーは、他者の予断が入りにくい
編集の仕方やナレーションに影響されるが、鑑賞者は見た画面から自分の考えを作り出しやすい。書かれたものを読むと、どうしても作者の考えの影響を強く受けてしまう。
(4) かなり進行しても、認知症者は自分の頭で考えている
考える素材が欠けているので周囲の人からみると「ちゃんと考えて」いないように見えるが、本人としては、いつも「ちゃんと考えて」いる。
(5) 認知症者にとっては、自分の考えを絶えず否定される
記憶が飛んでしまっており、それを元に自分の考えを述べる。認知症者からすればそれをことごとく否定されてしまうのが辛い。
(6) 「何がなんだかわからない」
他でも聞いたことがあるが、「何がなんだかわからない」というのは、認知症者にとって共通する、本質的な思いだろう。
(7) 自分の役割、自分の居場所がなくなってしまった
お料理も洗濯も「できない」と取り上げられてしまった。妻として母として、家族の世話をみてきたのに、世話を見られる立場になってしまった。「何もしなくていいよ」と言われるほど苦しいことはない。
(8) 認知症者には、豊かな感情がある
認知症になったら何もわからなくなるのではない。考えられないことを補うように、感情は先鋭化する。それが伝わらないのが本人にとっては苛立たしい。不安でいっぱい。お父さんに手をつないでもらうと安心できる。
(9) いつも新聞を読んでいるお父さん
介護者として全てが介護に向かってしまうと逃げどころがない。手を抜けるところは手を抜いて、新聞を読んでいるお父さん。英文にも挑戦している。「することがある」のは有難いことだ。
(10)家族間の思いやりがあるから救われる
90歳になって慣れない家事を始めたお父さんは、一緒に住もうかという娘には、まだ大丈夫だから、したいことをせよという。距離を探りながら、できることをしていく娘。思いやりが無くなると一気に悲惨な家族に陥ってしまうだろう。
===== 引用はじめ
娘である「私」の視点から、認知症の患者を抱えた家族の内側を丹念に描いたドキュメンタリー。2016年9月にフジテレビ/関西テレビ「Mr.サンデー」で2週にわたり特集され、大反響を呼んだ。その後、継続取材を行い、2017年10月にBSフジで放送されると、視聴者から再放送の希望が殺到。本作は、その番組をもとに、追加取材と再編集を行った完全版である。娘として手をさしのべつつも、制作者としてのまなざしを愛する両親にまっすぐに向けた意欲作。
===== 引用おわり
映画「ぼけますから、よろしくお願いします」公式サイト
http://www.bokemasu.com/
<関連行事ご案内>
ミニ講演会「認知症を予防して百歳時代を生きる」
開催日時 2019年12月17日(火) 14:00~15:30
場所 総合生涯学習センター(大阪駅前第2ビル5階 7号研修室)
参加費 正会員:1,000円 準会員:1,500円 一般参加者:1,500円
主催 NPO法人新現役ネット
https://www.shingeneki.com/common/details/area/3058
<今回の自主上映会の案内>
https://www.shingeneki.com/common/details/area/3036
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