2019年11月25日月曜日

(K0939) 延命治療について発想を変える / 平穏死(A-17)<臨死期>

 
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「平穏死できる人」になるためには、「治療をしたら必ず治る」「容体がどんなに悪化しても、治療は継続するものだ」という発想を変える必要があります。病気で苦しいのではなく、延命治療で苦しいのです
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 いま病院では、とにかく終末期におけるすべての変化に対して、条件反射のように反応します。
  血圧が下がったら昇圧剤を点滴し、
  貧血になったら造血剤を輸血します。
  呼吸が苦しくなったら酸素吸入、そして人工呼吸器をつけ、
  ナトリウムやカリウムの値が正常範囲から外れたら、バランスをとるための薬剤を手にします。
 
 迅速に対応してその結果がよければいいのですが、終末期医療になると、ある時期から延命治療のつもりが“縮命”になっていることが多いのです。もちろん、そうなってはもはや治療とは呼べません。
 
 最期まで過剰な延命治療をつづけると、皮肉なことに、苦痛が増して死期が早まる。そう、病気で苦しいのではなく、延命治療で苦しいのです。すなわち犯人は延命治療を命じる医者であり、それを希望する本人や家族ということになります。
 
 いろいろな病気がありますが、本人を含めみんながもう終末期だと判断したら、延命行為は要らない、要るのは緩和ケアだけという発想に変えてはどうでしょうか。
 
 「平穏死できる人」になるためには、「治療をしたら必ず治る」「容体がどんなに悪化しても、治療は継続するものだ」という発想を変える必要があります。
 
<出典>
長尾和宏、「平穏死 できる人、できない人」、PHP研究所(2014)P.66-69
 
終末期医療に関するガイドライン ~よりよい終末期を迎えるために~
  終末期医療における意思表明(リビング・ウイル)
https://www.ajha.or.jp/voice/pdf/161122_1.pdf

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