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「平穏死できる人」になるためには、「治療をしたら必ず治る」「容体がどんなに悪化しても、治療は継続するものだ」という発想を変える必要があります。病気で苦しいのではなく、延命治療で苦しいのです
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いま病院では、とにかく終末期におけるすべての変化に対して、条件反射のように反応します。
・ 血圧が下がったら昇圧剤を点滴し、
・ 貧血になったら造血剤を輸血します。
・ 呼吸が苦しくなったら酸素吸入、そして人工呼吸器をつけ、
・ ナトリウムやカリウムの値が正常範囲から外れたら、バランスをとるための薬剤を手にします。
迅速に対応してその結果がよければいいのですが、終末期医療になると、ある時期から延命治療のつもりが“縮命”になっていることが多いのです。もちろん、そうなってはもはや治療とは呼べません。
最期まで過剰な延命治療をつづけると、皮肉なことに、苦痛が増して死期が早まる。そう、病気で苦しいのではなく、延命治療で苦しいのです。すなわち犯人は延命治療を命じる医者であり、それを希望する本人や家族ということになります。
いろいろな病気がありますが、本人を含めみんながもう終末期だと判断したら、延命行為は要らない、要るのは緩和ケアだけという発想に変えてはどうでしょうか。
「平穏死できる人」になるためには、「治療をしたら必ず治る」「容体がどんなに悪化しても、治療は継続するものだ」という発想を変える必要があります。
<出典>
長尾和宏、「平穏死 できる人、できない人」、PHP研究所(2014)、P.66-69
終末期医療に関するガイドライン ~よりよい終末期を迎えるために~
終末期医療における意思表明(リビング・ウイル)
https://www.ajha.or.jp/voice/pdf/161122_1.pdf
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