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モンテーニュは、個人主義だ。引用文を読み私は誤解した。『葉隠』と重ね読んで、通じるものを感じた。武士の、個人を超える何物かを見据えた切腹は、欧米の自死の対極にある。「意思で死ぬ」ことたけが共通する
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===== 引用はじめ
最も自ら欲した死こそ、最も美しい死である。生は他者の意志による。死は我々自身の意志による。他のいかなる場合においてよりも、死に臨んでこそ、最も我々自らの意志に従わねばならない。…もし我々に死の自由がないのならば、生きるということはむしろ屈従である
===== 引用おわり
前半生はストア派の影響を色濃く受け、カトリック教徒でありながら無神論に傾斜していたモンテーニュは、第2巻第3章「ケア島の習慣」に以上のように書きました。
この文を読んで、私は『葉隠』を思い出しました。武士道です。死に美しさを求め、死に意思をもって対峙しようとしています(注:これは私が連想したことで、モンテーニュ自身の解釈ではありません。次節も同じ)。
私は、また、特攻隊も思い起こしました。国家のためにも命を捧げる、むしろ個人主義とは対極にあるのではないでしょうか。良いとか、悪いとか、ではなく、私は関連性を感じました。
安楽死は、武士の切腹でも、特攻隊の心でもありません。個人主義の極みです。共通するのは「自分の意志」で切腹することだけです(強いられた切腹、特攻隊員も多かっただろう)。
<出典>
人生100年時代の「死に方」
【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(62)産経新聞(2019/11/08)
https://www.sankei.com/premium/news/191110/prm1911100007-n1.html
<関連投稿>
(K0958) マリーケ・フェルフールトさんの安楽死 / 死に方について考えたい(1) <安楽死>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/12/k0958-1.html
添付は、
https://sai001.com/keos-island/
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