2019年12月25日水曜日

(K0969)  延命と救命のあいだで(単純ではない) <臨死期>

 
☆☆
「延命治療はしたくない」と言えば実現されるものではない。手をほどこして元気な状態になれるなら、救命治療をすべきだ。この先どうなるか、専門の医者でも判断できないことがある。誰が悪いということはない
☆☆
 
===== 引用はじめ
 元気だった母親が急変し、救急車で病院に運び込まれたのは年始早々だった。よく分からぬままに人工呼吸器がつき、中心静脈栄養が入り、さらに透析が始まる。その過程で原因は血液がんだと分かった。
 母親は常々、「延命治療はしたくない」と言っていた。だから、女性は病院側に「延命治療はやめてほしい」と訴えた。だが、返ってきたのは、「これは延命治療ではなく救命治療だから、もう少し様子を見たい」という言葉だった。
 結局、母親はチューブにつながれて亡くなった。浮腫も生じた最期は、さぞ不本意だったろうと、女性は思いやる。
 医療者側の思いは推測するしかない。ただ、血液がんは、抗がん剤が効けば治る病気だ。母親は抗がん剤に行き着く前に力尽きたが、年齢は60代と若かった。現場の医療職は、治療の可能性を諦めきれなかったのではないか。
===== 引用おわり
 
 どう考えたら、よいのだろうか。
 
===== 引用はじめ
 どちらが正しいというものではない。女性の気持ちにも、医療者の気持ちにも理がある。
 もしも、当の母親が意思を示せたら、可能性にかけただろうか。それとも、すっぱり諦めただろうか。
===== 引用おわり
 
 「これが正解」というものは、ない。正解の無いまま、決断しなければいけない。その時目いっぱい考えて、えいや!と決め、後は後悔しないことにするしかないだろう。そう決めれば後悔しないで済む、というものでもないだろうが。
 
<出典>
佐藤好美、延命と救命のあいだで
【一筆多論】 産経新聞(2019/12/17)
https://www.sankei.com/column/news/191217/clm1912170004-n1.html
 
添付図は、以下より
https://ama-kaigonomori.com/events/20180903-01/

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