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ほぼ3年暮らして知ったことがある。「終の棲家探し」って、延々と続くもので、自分では決めたつもりでいても、結果はどうなるかわからないのだ。ここに無事行き着いた、なんて安堵していてもどうなるかわからない
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「終の棲家」のはずのサービス付き高齢者住宅だが、思った以上に入れ替わる。居心地が悪いわけではない。様々な理由で、去っていく。
===== 引用はじめ
もともと70歳になったら、このふらふらしたい性癖を克服し、自分の生きる最後の場所を定めなきゃなあ、と漠然と思ってはいた。
よく「終の棲家(ついのすみか)探し」などと言われているが、それって終活の究極の選択よねえ、みたいな。
が、ほぼ3年暮らして知ったことがある。「終の棲家探し」って、延々と続くもので、自分では決めたつもりでいても、結果はどうなるかわからないのだな、と。
ここ、私の住むサービス付き高齢者住宅には、60代から90代まで平均73歳の人たちが、常時60人ぐらいは住んでいる。
それが、思った以上に入れ替わる。この3年で、なんと十数人も入れ替わった。
居心地が悪いわけではない。ここではみんなが好き勝手に暮らしていて、「天国だあ!」などと言う人もいる。
そんな中で、去って行く人の事情は実にさまざま。親の介護や家族の問題で泣く泣く退去とか、やっぱり都会がいい、この不便さに耐えられないとか、まだ元気だから近くの別荘に住み替えちゃおうかな、とか…。
中には、逆に別荘代わりに長年部屋をキープしていた人が、事情が変わって解約とか…。
結局、人生は予測不能。
いくつになっても、みな永遠の漂泊者なのだということ。
ここに無事行き着いた、なんて安堵していてもどうなるかわからないと、悟った気分の新年だった。
===== 引用おわり
<出典>
漂泊の思い、なおやまず
【家族がいてもいなくても】(673) 産経新聞(2021/01/08)
https://www.sankei.com/life/amp/210108/lif2101080008-a.html
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