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引退に伴う喪失をカバーしてくれるものは、三つある。仕事、ボランティア、 趣味。「豊かさ」を経済的豊かさに限定するなら、確かに仕事。しかし、経済的豊かさではカバーできない豊かさもある。ボランティア、趣味
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(K1358)からの続き
前回、「純粋に働きたと思っている人」と「生活の為に働かざるを得ない」との合計、という表現をしたが、それだけではないだろう。「純粋に働きたと思っている人」には、様々な要因がある。
働くことは、収入をもたらす以外にも、さまざまなものを与えてくれる
①
収入
②
自尊心 … 肩書がある
「○○会社部長」の名詞を使えなくなり、一老人に「なりさがってしまう」
③
活動の場 … 活躍できる場がある
生きがいを見失ってしまう
④
活動の仲間 … 否応なく人間関係の中にいる
孤独になると、おかしくなる人が多い
⑤
居場所
自宅以外にも、居場所が欲しい
働くことを止めることは、収入以外にもさまざまな喪失を伴う。若い時に気づかなかった喪失が、高齢に伴い切実な問題と気づく。気づいた人はしあわせで、気づかない人は、家に籠って、くすぶってしまい、「熟年離婚」になってしまうこともあるだろう。
気付いた人は幸いだが、選択肢として仕事しかないのは、不幸だ。引退に伴う喪失をカバーしてくれるものは、三つある
(A) 仕事
(B) ボランティア
(C) 趣味
収入の制限がある人は、(A)しか選択肢がないかもしれないが、そうでない人は、3つの選択肢がある。「豊かさ」を経済的豊かさに限定するなら、確かに(A)である。しかし、経済的豊かさではカバーできない豊かさもある。それが(B)(C)である。
現役の人は、(A)に重点が置くのは自然である。自分や家族の為に収入が、必要だろう。そこで手薄になった(B)(C)の豊かさを実現するのは、(経済的に余裕のある)引退者の大切な役割であり、これにより、日本人も日本も、多様な豊かさを享受できるようになる。
それを仕事にのみ誘導しようという政策には、疑問を感じる。
少子高齢化に伴い、働き手が不足する事情はわかる。だが、経済的な豊かさを無視しては、日本人も日本も、真の意味で豊かになることを妨げる。
このシリーズ終わり。
<出典>
添付図は、以下からのイメージ写真
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